ChatGPTに「一宮市を観光案内させる」とどうなるか? AIが語る“地元”と“情報の限界”に挑む
■ はじめに:「一宮市」をAIに語らせてみたら
「この街を案内して」とAIに頼む──それは、もはや特別なことではない。
ChatGPTのような対話型AIが日常化した今、私たちは旅先の情報収集すら、キーボードを叩くだけで済ませようとしている。
しかし、ふと思った。
「ChatGPTに、一宮市の観光案内を任せたら、何が返ってくるのか?」
愛知県一宮市。モーニング文化で知られ、名古屋にも岐阜にも近く、ベッドタウンでもあり、ものづくりの町でもある。
だが、正直なところ、「観光地としての個性」はそれほど強くないとされがちな都市でもある。
果たして、そんな“ローカルの代表格”のような町を、ChatGPTはどう紹介するのか。
この記事では、実際の対話やプロンプト設計の事例を交えながら、「AI×地域案内」というテーマに深く切り込んでいく。
■ ChatGPTの基本構造と“観光案内能力”の限界
● ChatGPTは地元民ではない
ChatGPTは、自分の体験や実地の記憶を持っていない。あくまでインターネット上の言語情報から学んだ「平均化された言語モデル」であり、どれだけ自然に話していても“知っている”わけではない。
つまり──
- 口コミサイトで誰かが語った内容
- 観光パンフレットの文章
- 自治体の公式サイトの案内文
こういった「公開された情報の集合体」が、AIの観光案内の根拠となっている。
● “メジャー”に引っ張られる仕組み
AIの出力には「頻出性バイアス(Popularity Bias)」がある。これはつまり、「ネット上に多く存在する情報」が優先される傾向だ。
そのため、一宮市と検索すれば──
- 真清田神社
- 七夕まつり
- 138タワーパーク
といった“代表的観光地”が列挙される。
だが、その街にしかない「生っぽさ」や「匂い」は、言語化されていないと出てこないのだ。
■ 実験:ChatGPTに「一宮市を観光案内させる」
では、実際にやってみよう。
「ChatGPT、一宮市を1日かけて観光したいです。おすすめのコースを教えてください」と入力してみた結果がこちら。
■ ChatGPTの返答(要約)
- 午前:真清田神社を参拝/周辺のアーケード街を散策(商店街モーニング)
- 昼食:一宮駅周辺で味噌カツ、きしめんなど名古屋メシ風のランチ
- 午後:一宮市博物館 or 尾西歴史民俗資料館/138タワーパークで展望
- 夕方:木曽川堤防を散歩しながら帰路
──「間違ってはいない」
だが、正直なところ「驚き」や「発見」はない。どこにでも書いてある内容を、テンプレート的に並べただけのような印象すらある。
つまりこの案内は、「一宮を知らない人による、知らない人のための観光案内」なのだ。
■ 観光案内とは「情報」ではなく「感性」の共有である
本来、観光案内とは「見どころを教える行為」ではない。
どこに“感動”を感じるか、どこに“違和感”を覚えるか──その“人間のフィルター”を通して街を語ることが観光案内の本質だ。
たとえば、以下のような話はどうだろう?
- 「真清田神社の鳥居をくぐると、なぜか毎回“気が引き締まる”感覚になる。地元の人はよく“空気が違う”と言うんです。」
- 「モーニング文化、ただの無料サービスだと思ったら大間違い。出てくるのはトーストだけじゃなくて、お雑煮、小鉢3種、和菓子…時に豪華すぎて引く。」
- 「一宮駅西口のカラオケ店横の脇道、夕方になると決まって“におい”がする。地元の人はあれを“戻ってきたな”のサインにしてるとか。」
これらは、情報ではなく“体験のエッセンス”だ。
ChatGPTには、こうした“個人の違和感の記憶”を語ることはできない。
■ ChatGPTに“違う人格”を与えてみた実験
そこで、プロンプトを工夫してみた。
【プロンプトA】
「あなたは一宮市在住の大学生。SNS投稿するつもりで、週末おすすめコースを友人に紹介して。」
→ 結果:駅前の古着屋情報、B級モーニング、アートギャラリーの紹介などが登場。やや個性的な視点。
【プロンプトB】
「あなたは外国から来た旅人。一宮で意外だった体験と驚いた文化を中心に、エッセイ風に語ってください。」
→ 結果:「朝からご飯が無料で山ほど出るとは…」「人が多いわけじゃないのに、どこか落ち着かない街並み」「自販機がやたら元気だった」など、異文化的驚きが表現される。
これは示唆的だ。AIの“立場”を変えるだけで、まったく異なる観光体験を語らせることができる。
つまり、AIには「空気」は感じられないが、「空気を感じている人間になりきる」ことはできる。
■ 一宮市の“地元ネタ”はAIにとって盲点になりやすい
AIに一宮を語らせると、どうしても“明るくて、整っていて、安全な街”として描かれやすい。
だが、リアルな一宮には、以下のような“曖昧で複雑な側面”も存在する。
- 工業地帯と旧商業地帯のギャップ
- 若者の遊び場が少ないため、名古屋or岐阜へ流出する構造
- 一宮市駅と尾張一宮駅の“名前問題”
- 郊外の無人駅にだけ現れる謎のモーニング専門カフェ
- 「ザ・昭和」な都市構造と再開発の対立
こうした「地元住民が語りたがらない話題」や「表に出てこない風景」は、AIではすくいきれない。
■ AIが案内できない“観光未満”の魅力
AIの最大の欠点は、「まだ観光資源として認識されていないもの」を案内できないことにある。
たとえば──
- 廃墟寸前の商店街に突然現れたコワーキングスペース
- モーニングの注文が“筆談方式”で行われる喫茶店
- 植物が建物を飲み込んでいる駐車場跡地
こうした“観光未満”のスポットにこそ、その街の“今”が凝縮されている。
だが、AIにとっては「情報がない=存在しない」のと同義だ。
■ 結論:「AIに観光させる時代」の限界と希望
AIによる観光案内には、まだまだ“人間らしさ”が足りない。
だがその一方で、人間がAIをどう活用するかで、“地元の魅力”をより深く発信する武器にもなり得る。
一宮市のような「観光地としてグレーな町」こそ、AIとの対話によって、その魅力の再発見が可能になる。
それは、ChatGPTを「観光ガイド」にするのではなく、「共感の触媒」にする発想だ。
■ おわりに:一宮市をAIに案内させるという“問い”
この実験を通して感じたことがある。
それは、「ChatGPTに案内させる」のではなく、「ChatGPTを通して、自分が案内人になる」ことが、もっともAIらしい使い方なのではないかということ。
私たちはAIに情報を求めているのではなく、“視点”を増やしたいだけなのだ。
ChatGPTは、その視点を拡張する道具だ。
「一宮市って、何もないよね」と言われがちなこの街を、どう語らせるか。
その問いこそが、今まさに「AIと地域が出会った」証拠なのかもしれない。